ジャガイモ量産工場

ツイッターでは呟ききれないものを書くところです。好きな作品の話をたくさんしたいです。

私はテレビを見ることで皆と同じになれた

 自分が普段興味関心を持っている事柄で悲惨なことが起きてしまった。

そのときの衝撃は、毎日流れるどこか遠く離れた見知らぬ誰かの訃報より重く捉えてしまうのは仕方がない気がする。知っているからこそダメージが大きいのだ。あまりに身近に思えた。好きな作品の話をするために開設したがちゃんとした最初の記事がこれになるとは思ってもみなかった。

 

 それとは関係がなくて、関係あるような話を今回しようと思う。

この先どんな報道がされようと今思いめぐる気持ちに正直でいたいし大事にしたい。

 

 

 私の家には好きなことをするための余裕がほとんど無かった。母方の祖父母、両親、自分を含めた4人のきょうだいの8人家族。

皆それぞれ娯楽が好きだった、しかしそれをやるためのお金が無かった。

おもちゃも無い、新品の服も無い、お菓子も無い、友達を家に招いても娯楽と呼べるものは無く恥ずかしかった。そんな中で唯一あったのがテレビだった。

 

テレビは色々なものを放送している。ニュース、ドラマ、ドキュメント、ワイドショー、バラエティ、スポーツ、音楽、教育番組、アニメーションなどが大部分だと思う。

同じ年頃の人は勿論のこと年上でも年下でも、また異性であろうが同じものを見ていれば話が合うのだ。私はそれがすごく嬉しかったのだ。

 小学生の頃度々いじめにあっていた。

上のきょうだいの墨汁の汚れが落ちないおさがりの制服、体格に合わないボロボロの小さな自転車を三輪車と馬鹿にされ、持っているものと持っていないものの明確な格差がそのまま弄りやからかいに繋がり悔しい日々が多かった。

遊園地に行った、ゲームの新作を買った、外食がどうのこうの…そんなことが周りで聞こえてくる。しかしテレビだけは皆と同じになれた。

 同じ放送を見ていれば共有できる、電気代などはかかるが一つ一つ物を買うよりは安くたくさん情報が入ってくる。中でもアニメーションは格別だった。

豊かな色彩、見たことの無い風景、場の緊張感を表現する音楽、キャラクターが動き様々な感情をさらけ出し思いもしない展開にいつも目を輝かせ食い入るように見ていた。必死にテロップを見ながらアニメソングを覚えた。 

自分の世界は家と学校だけだがテレビの前にいると世界はもっと広く感じられた、そこにたくさんの夢を見出していたのだ。

毎日学校の後に家に帰ったらアニメがある、それが私の原動力だった。

 漫画が買えないのならその漫画のアニメを見る、ゲームが買えないならそのゲームのアニメをみる。アニメは全ての入り口でもあった。

それを友達と共有したらこんなにも楽しいんだ。

それが当時何も持っていない私にできる他人との距離のとり方だった。

同じ人生を誰も歩いてなんかいない、でも好きなものを共有できたなら交わり一気に距離感は近くなる。

そう思うことで少し救われていたのかもしれない。

 今年で23になるがアニメと自分は全く切り離せないものになっていた。

最新のものを張り付いてみているわけではないのだが、あの頃いけなかった映画に行ったり、漫画を買ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、アニメから舞台になったものを見に行ったり、色んな人と感想を言い合ったり、何度も同じアニメを繰り返しDVDで見たり、生まれる前のアニメを公式配信サイトで見たり、原体験は今もずっと生きたままでいる。アニメから受けた恩恵が計り知れなかった。

 

話は急に変わるが私は火事に遭遇したことがないが、上記にも述べた母方の祖父母の話も少ししようと思う。

二人の火葬したときの光景は忘れられない。

棺の中に手紙や花、愛用していた服や物を入るだけ入れた。

焼き終わった棺の中には骨と打ちつけた釘だけがあった。

肉体が骨だけになるのだ。骨になると一目見てもう誰かも分からない。

面影なんて残ってないのだ、同じ家に住んでいた、ついこの間まで生きている姿を見ていたのに。一緒に入れていた物が跡形も無かった。なにも証明できなくなったのが本当に怖かった。高校生だった私はテレビで見ていたものを実際に体験してしまったんだと思った。この先身近な人がこうなっていくんだと受け入れられなくなった。先に祖父が、そして1年経たない内に祖母が。

祖母は病気関連で施設いたので祖父の死すら知らなかった。

母は言い出せなかったのだ、言い出せないまま祖母は同じように火葬された。

祖母の骨を前にしながら「お爺ちゃんのこと言えなくてごめんね、同じところにいけたらいいね」と家族で言ったのを覚えている。

だからこそ今起こっていることが信じられないでいる。 

 

報道とアニメ、同じテレビが映しているものなのに。

何もかも信じたくない。

犯人がどんなやつであれ同じ人間と思いたくない。

あまりに惨い。どれだけ苦しいことを同じ人間に与えたのか。

何も残らなかったという記事をみた。

そして祖父母のことを思い出した。

生きたまま亡くなったことが耐えられない。

 

もしかして私は同じものを見て同じになれたと勘違いしていたのかもしれない。